頭から足まで真っ黒に染まった青年が、覚束ない足取りで歩いている。血の匂いに誘われた下級悪魔が寄って来ては殺された。
「ぎゃあああああああああ!」
肩から指先に掛けての肌が黒く硬く変化して、悪魔に死を与える。悪魔の血は赤だったり緑だったりしたが、時間が経つとどす黒くなるのは同じらしい。セレストが歩いた道はよく分かった。
「……」
暗く濁ってしまった瞳は、もう死体には目もくれない。休みもせずに、ただ只管に南西――強欲の魔王のいる黄金宮を目指して歩き続ける。
「エセル……」
彼女を取り戻す、という願いが今のセレストを動かしていた。疲労した身体が止まれと言っても無視をする。エセルの事以外を考えたり、止まったりすると――自分は壊れてしまうだろうから。
「エセルではなく、貴様ならよかったのだ!」
白髪の交じり始めた男は、投げつけるようにグラスに入った酒を長女に掛けた。
「っ……!」
今ロッテが着ていたのが黒い喪服であった事は、まだ幸いなのかもしれない。赤いワインの染みが目立たなくて済んだ。
「ああ、エセル――わたくしのエセルベルタ」
両親は次女の死を嘆き悲しんでいる。葬儀についても忘れているようで、シャーロットが全てを取り仕切った。
「シャーロット。貴様の顔など見たくもない、さっさと下がれ」
ロッテは言われた通りに、頭を下げてから両親のいる部屋を出て行く。
「はい……お父様お母様、どうかあの子の冥福を御祈り下さい」
ひんやりとした空気が、ロッテの身体に纏わりつく。彼女は気にせず、地下に続く階段を降りて行った。
「ロッテ様」
白衣を着た老人が、縋るようにロッテを見詰めた。彼は小さい頃からロッテやエセルの主治医をしている者だった。
「如何、ですか?」
ベッドには、二人の人物が眠っている。今にも止まってしまいそうな程に細い呼吸を繰り返すセレストと、身体を清めたエセルベルタだ。
「セレスト様は――何時意識が戻るか、全く分かりません」
「……」
ロッテは碧色の瞳を悲しそうに伏せた。
「エセル様も理由が分からず……力になれなくて申し訳ありません」
エセルベルタは、死んだ時のまま――身体が一向に腐敗しないのだ。幾ら地下室が暑くないとは言え。
それは悪魔に襲われたから、魂が天に召されずに地上を彷徨っている――それがこの時代、この場所に生きる者達の一般的な考えだった。
「いいえ、貴方は出来る限りセレストを生かしてください」
ロッテは、動かない恋人達の手を重ねてやる。
「セレスト……どうか、戻って」
歌姫は、レクイエムを歌わない。