人間にとって、不幸とは対岸の火事である。自分の身近に迫って来ない限りは、考える事もない。
「エセル……」
僕は必死に手を伸ばす。体中が痛いと悲鳴を上げているが、そんな事は構わなかった。
「……かに、あの……と……る」
目を閉じる事すらなく、彼女は死んでいた。恐怖と絶望に支配された表情のまま、涙も乾かずに。
「これだけ……れば、きっとあの御方も……」
僕達を襲った者達の一人が、エセルの胸から何かを取り出した。白く輝く、光の珠だった。それが何を意味するかは、僕には分からなかった。
でも、きっとエセルの大切なモノ。奪われちゃ、いけない――それだけは何となく思った。
「か、え……せ」
やっと出たのは、弱々しい声――我ながら情けない。しかも襲撃者達には届かず、完全に僕はこの場に存在しないモノとして扱われていた。
「……て帰って、準備を……早い方が、いい」
「ああ」
そして、襲撃者達は次々に消えていった。待て、と手を伸ばしても――僕の手は空を切るばかりだ。
「ん……?」
最後の一人が、チラリと僕を振り返った。コツコツと高い靴音を鳴らしながら、血溜まりに倒れる僕に近付いてくる。
「何故お前がこれを持っている?」
それは、エセルの姉・シャーロットから婚約のお祝いに贈られた首飾りだった。淡い空色の石は、愛を守る力があると彼女は言っていた。
「答えろ、人間」
口を動かす力は、なかった。この場で殺されたって構わない……もう、如何でもよく思えてしまった。
「まぁいい。どの道人間には過ぎた物だ」
ごめん、ロッテ――僕には守れなかったよ。エセルを、愛を。
「さらばだ人間よ。お前は魔界に来ても、谷から出る事はないだろう」
そう言って、最後の一人も消えた。きっと、あれが悪魔なんだろう。初めて見た……一生見たくはなかったけれど。
ああ、昔から悪魔によって人間の女の人が何人も殺されてるのに――まさか、エセルが殺されるとは思いもしなかった。
「え、せる……」
残されたエセルの身体まで何とか這って行って、冷たくなった指に触れるのが僕には限界だった。