昔々、この地は悪魔が支配していました。強大な力を持つ魔王の下に、人間は悪魔達によって狩られる存在だったのです。
人間達は、嘆き哀しみました。でも、中には大切なモノを守ろうとする人間もいました。倒す事が出来なくとも、剣を取り抵抗したのです。
今日も教会の祭壇に向かって、祈りを捧げる青年もその一人でした。彼の名はイルディナス。生きる事に、希望を捨てない彼の祈りが天に届いたのでしょうか――その場に眩い光が溢れて、イルディナスは目を閉じました。
光が収まり、再び目を開けたイルディナスの前には――美しい女性が、微笑んでいました。何よりも驚いたのは……彼女の背中には白い翼が生えている、天使だったのです。
天使はフィリナエルと名乗り……彼女の加護を受けたイルディナスの剣には、悪魔を倒す力が宿りました。フィリナエルも、天使の力で悪魔を封じていきました。
そして、二人は魔王をさえも打ち倒し――イルディナスはフィリナエルと結ばれるのでした。
めでたしめでたしで絵本は終わる――現実はそうでなくとも。
「二人は魔王を封印し、悪魔を地上から魔界へとおいやった。それは、とても偉大な事。そのお陰で、今私達は平和に暮らしているのだから」
英雄イルディナスと天使フィリナエルの物語を綴った絵本は、老若男女を問わず人気があり大抵の家庭は一冊置いている。美しい挿絵と、王道的なストーリー……でも、それは決して物語ではない。
「それでも――悪魔はこの地に出没する。人の欲望に誘われて」
のめり込めない私は、よく周りから変わり者と言われたっけ……まぁ、そんなの今となっては如何だっていい事だ。シオネリーゼはパタンと本を閉じる。裏表紙に描かれたフィリナエルは、先程見た救出すべき対象達の姿絵とよく似ていた。
「二人の子孫は聖なる力を受け継ぎ、何百年経った今でも悪魔と戦い続けている――戦い続ける事を、強いられている」
軍議が終わって、イグナスの号令が掛けられるまでの時間は自由だ。九尾騎士団の仲間達が待機している部屋の隅に有った本棚。そこから何となく取った絵本を元の位置に戻した時、イグナスが部屋に入って来た。ついに出撃か、と団員達に緊張が走る。
「あ、出撃はまだだよ。シオネリーゼ、ちょっと来て」
「はい」
呼ばれた理由は思い付かないが、兎も角イグナスの後を付いて歩く。
「君の任務は?」
背を向けたままイグナスが問う。今回が初任務だから、確認だろう。
「館に突入し、聖女様達を探し保護します」
すらりとシオネリーゼは答えた。
「うん、そうだったんだけど。たった今変更」
「……え?」
「君は陽動に回ってもらうから」
イグナスは目的の場所に付いたのか、豪奢な扉を開ける。此処には確か――。
「ふ、不謹慎ですっ、こんな時に!」
顔を真っ赤にしながらブレイズは叫ぶ。本当は分かっている、こんな時だからこそ彼等は自分をからかうのだ。
しかし――今回はあまりにも酷いではないか。
「いやー、言ってみるもんだろ?」
ダンテはニヤニヤと笑う。ケイもニヤニヤと笑う。シャルトは何時もならば呆れる筈なのに、今回ばかりは驚いている。
「恋、か……あのブレイズがな」
「ついにブレイズもおとなのなかまいりなのだな! われもおうえんするぞ!」
しみじみと呟くシャルトは、兄というよりは最早父親のような心境である。肩に乗った相棒のナリィも、はしゃいでいた。
「秘めておく、つもりだったのに……」
「いや秘められてなかったから、ブレイズのあの顔は」
項垂れるブレイズに対し、ケイは突っ込む。気付いてなかったのは、恐らく惚れられたあの子だけだろう。
「あの大将ノリがよくて助かったぜ」
そう――ダンテは軍議終了後、九尾騎士団団長イグナスに言ったのだ。ブレイズが一目惚れしたから、黒髪の女の配置を変えろ、と。
普通はそんな申し出、受け入れられる筈は無いのだが……二つ返事でイグナスは了承してしまった、とても嬉しそうに。
「お、本当に来た」
耳が良いダンテは、二人分の足音を捉える。
「えええええええ!?」
ブレイズが物凄く狼狽しようと、扉は開いた。
「失礼するよ。君も入って」
イグナスは先程あんな会話があった事等、一切顔に出さなかったのだろう。今もまた、真面目な団長の表情をしていた。
「では……失礼します」
例の懸想相手が入って来た瞬間、ブレイズは固まった。
「ブレイズ君、君を高名なクライスト騎士団団長と見込んで――折り入って頼みがあるんだ。この子を守ってやって欲しい」
イグナスは部下を本当に心配する上司の顔を崩さないまま、ブレイズの前に懸想相手をずいっと出す。
「この子は初めての任務……いや、戦闘任務が初めてなんだ。初陣と言ってもいいだろう。ほら、自己紹介」
出された彼女も戸惑っているらしく、不安そうにイグナスを見ている。それでも姿勢を正し、左胸に手を当てる九尾騎士団の敬礼をした。
「九尾騎士団知星所属、シオネリーゼです。その……宜しくお願い、します」
「私はクライスト領主マルスが一子、ブレイズと申します!」
緊張の為か、ブレイズの声が大きい。シオネリーゼの右手を取ってぶんぶんと上下に振った。
何なんだこの人――そう言いたそうな表情をシオネリーゼは浮かべる。許してやってくれ、そいつは今自分でも何をやっているか分かってないんだ。
ああ、やっぱりこの女気付いてないな……と思う三人を余所に、シャルトの肩からぴょこんとナリィが降りた。
「われはぁ、サンドリアりょうしゅシャルトのつかいま、ナリィなのだぁぅ!」
「うん、宜しくお願いね」
えっへんと胸を張るナリィに、シオネリーゼは微笑む。面白いようにブレイズが赤くなった。
「じゃぁブレイズ君、戦闘になったらシオネリーゼを頼むよ」
「は、はいっ!」
そう言って二人は去って行った。静かに閉まる扉をブレイズはずっと見詰めている。
「おーい、ブレイズー?」
「シオネリーゼ殿……シオネリーゼ……」
「駄目だこりゃ」
ケイがブレイズの顔の前で手をひらひらと振ったが、反応はない。半分意識は飛んでいる。コイツこそ大丈夫なのだろうかとダンテ達は不安になった。